11月から12月にかけての京都では、ふと見上げると庭師が松に登って忙しげに葉むしりをしている姿がよくみられます。葉むしりとは、まだ枝についている古い松の葉を取り除く作業のことです。この時期に葉むしりが集中的に行われるのは、茶色くなった古い葉っぱがちょうど出終わるから作業がしやすくなるという理由です。しかし、この忙しさにはもっと深い理由があります。葉むしりにはお正月を迎えるための準備という意味も込められているのです。年末に松の手入れを終わらせて整った状態でお正月を迎えるためです。こう考えると葉むしりは新年を一緒に迎える庭師とお客様が庭を今年も共有する儀式とも言えそうです。
ちなみに、葉むしりはお正月に向けて行うことが多いですが、庭園管理の学習のために行うこともあります。無鄰菴では庭の手入れを庭師と体験するフォスタリングスタディーズという講座でも、葉むしりを行なっています。
葉むしりを行う前の松はこのような様子です。落葉したモミジの葉が入り込んでしまうぐらい生い茂り、茶色くなった古い葉が目立ちます。
このような状態から、伸びた枝を切って、古くなった葉を手でむしることによって徐々に透明感のある軽やかな状態にしていきます。
葉むしりには決まった作業の方法があるわけではなく、地方・地域によって様々です。例えば、無鄰菴の担当庭師、出口健太さんによると無鄰菴で行われている葉むしりは京都市の中でも特に左京区特有のスタイルに則っているそうです。彼はこう言います。「左京区というエリアでは枝を三本残すのは主流のようです。つまり、他の場所ではこう二つにすることも多いですが三本の場合、もとの自然な樹形、枝の形に近いです。二本残す場合、枝に供給されるエネルギーが二つに分かれますが、三本残すことによって、この三つにエネルギーが分かれるのであまり暴れないというか、自然な形で伸びていけると思います。」
技術面の違いは他にありそうですが、葉むしりは素手で行うことが基本です。これは指先の感覚で繊細な作業がしやすいからです。この細かい葉っぱを手で掴めてこそ、葉むしりが仕上がった時のイメージが出来ていくといえそうです。しかし、このような作業を連日素手で行なっていると思うと葉むしりは、大変な仕事であることが分かります。
指先の感覚だけを頼りにしていては繊細な仕上がりは期待できません。必ず自分の仕事を他の庭師と調和させるための能力も育てなければならない、と出口さんは言います。一つの枝を手列に取り、切り方を説明します。
「この枝がいらないから切りましょうとしたら、人によっては枝の途中で切ってしまいます。これでは不自然ですし、見た目に違和感があります。そうではなくて、きっちりと付け根で切ってあげないとその傷口も治りにくいし、見た目も悪いです。そこまでは合わせてほしいですね。人と一緒にやるのであれば。」
葉のむしり方の濃さや薄さも仕上りを合わせるように気を付けながら、勝手に自分のやり方だけでやらないための注意深さも必要だそうです。「丁寧にむしらないと、葉が痛んでまたこうやって茶色くなって落葉していきます。パッと見て綺麗に見えてもきちんとしていないとやっぱり二度手間になります。」お客様を迎えるという意味も込められている葉むしりで二度手間を極力避けるためにチームワークも必要です。これは丁寧かどうかという問題ではなく、複数人数で効率よく、一貫した印象の手入れをするために欠かせない「統一」の技術です。
この微妙な違いは一言でいえば「濃さ」で言い表せそうです。取材中、出口さんは何回も「仕上がりの濃さ」という言い方をしました。葉むしりの仕上がりの濃さに最も乱れができやすいとのこと。「経験が浅い頃はやっぱり、切りたくなりますので切りすぎることもある」と出口さんは説明します。全体が見えていない中で作業をしているので切りすぎてしまう危険性もあるという意味です。だから、たまに離れてみて、指先で進めてきた仕事を目で確認することが欠かせません。
いかにも習得しにくそうな技ですが、「大体これぐらいで大丈夫かなというのをもう身体で覚えてしまっているので、大丈夫です。」と出口さんはいいます。指先にしても目にしても、感覚を身体で覚えることが重要のようです。
こうして、以下のように何度も姿勢や角度を変えながらも統一した濃淡を保つことができます。
その結果として、ここまで様子が一変します。
しかし実は、この日の葉むしりの目標は完全に仕上げることではなくて、『庭師と学ぶフォスタリングスタディーズ』のイベントで、参加者の皆様と一緒に葉むしりを体験するためのベースを整えることでした。これを参加者の皆様はどのように完成させたのでしょうか?!
まさに周りの景色と完ぺきな調和がとれた「濃さの仕上がり」といえるのではないでしょうか。プロの技としか思えないこの仕上がりを見ていると、出口さんが取材日に使っていた「濃さ」や「統一」などの言葉は庭師の技術としてばかりではなく、庭を多様なコミュニティーと共有するための行為としても生きていることがよく分かります。
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