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無鄰菴とは

無鄰菴は、明治27年(1894)~29(1896)年に造営された明治・大正時代の政治家山縣有朋の別荘です。
無鄰菴は庭園と母屋・洋館・茶室の3つの建物によって構成されており、庭園は施主山縣有朋の指示に基づいて、七代目小川治兵衛により作庭された自然で開放的な空間の庭園として高い評価を受けています。
昭和26年(1951年)に国の名勝庭園に指定されています。

庭園の360度映像をごらんいただけます(その場での360度回転や庭園内を進むことができます)

名勝とは?

「名勝」とは、お庭の重要文化財にあたります。
それは文化財保護法によって守られており美術館にある絵画や彫刻と同じように、自由に手を加えることはできません。公共の財産として、国や専門家や市民によって大切に育まれていくべきものです。
この無鄰菴は以下の理由で名勝に指定されています。
「水は常に浅く豊かに波打って美しく流れ、二、三箇所に落水を作っている。水辺の芝生は広い水面と共に明るい近代的庭景を与えるのに役立っている。樹林を越えて東山の諸峯は借景となる。明治時代における優秀な庭園である。」(昭和二十六年六月九日文化財保護委員会告示第十九号より抜粋)
無鄰菴では、この名勝指定理由に基づいた庭園管理と施設運営を行っています。

無鄰菴のある岡崎地域

平成27年に国の重要文化的景観に指定された岡崎地域。江戸時代末期まで田畑の広がる風景でしたが、京都が政治の舞台となったことで、一変して各地の藩の屋敷が立ち並ぶ政治の中心地の一つとなりました。しかし明治維新以後、各藩邸はその役割を終えて撤退し、岡崎地域は田畑の広がる風景に戻ることになりました。
あわせて、東京に首都が移されたことで、天皇の居なくなった京都は衰退の一途をたどります。
京都府知事北垣国道は、衰退した京都を復興させるために、琵琶湖疏水計画を立案。岡崎地域の開発に取り組みました。また明治政府の政策により南禅寺境内はその5分の4が国有地となり、その区域に大津から引かれた疏水の水力を利用した一大工業地帯を作ろうとの計画がなされました。しかし国外から水力発電の技術が導入され、隔たった場所への送電が可能になったため別荘地としてこの地域の風致を保存しようという運びになりました。それが近代日本庭園の名庭が今も数多く残る無鄰菴を含む南禅寺界隈別荘群の始まりです。
開発された岡崎地域ではまた、明治28年(1895)に国内物産の開発・奨励のための第4回内国勧業博覧会が開催されたことを皮切りに、明治36年(1903)に動物園、明治42年(1909)に府立図書館、昭和 3年(1928)に美術館が設置され、現在の観光・文化のまちとしての発展の基礎が築かれました。
明治後半の大きな国の転換期を今もその景色から偲ぶことができる岡崎地域です。

庭について洋館について母屋について茶室について治兵衛・有朋について無鄰菴の表記について