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洋館二階の障壁画の修理レポート

無鄰菴の洋館2階は、かつて山縣有朋や伊藤博文らが集って日露戦争前夜に、その名も無鄰菴会議を開いた場所です。室内の壁面を飾る障壁画は、経年により傷みが激しくなったため京都市立芸術大学大学院の協力のもと、修理が行われることになりました。このレポートでは、今回の修理で新たに分かった主な点についてご報告します。

2024年6月7日 障壁画をはがす前に剥落止めの処置をしている様子

今年度は東面の「松図」「群鶴図」が修理されています。オリジナルの障壁画は描かれた当初はどこか別の建物に設置されており、無鄰菴の洋館の壁面サイズに合わせるために切り貼りされています。この障壁画はかなり大きな画面であるため、洋館に移設される前は城郭や大規模な寺院の壁面を飾っていたのではないかと想定できますが、無鄰菴への移設時に新たに空間にあった絵画表現となすために、当時の職人さんが大胆に切って貼り合わせ、さらに上からつなぎ目が目立たないように筆が入れられていることがわかりました。

洋館東側の窓の上に貼られていた部分。描かれた松の枝を横切る形で金箔の貼り方がつながらない部分が後から貼り合わせた箇所(赤点線部分)

背面にはところどころに「鶴」の文字がありました。

今の感覚からすると驚いてしまいますが、古いものを新しい形で使用することが当然だった江戸時代や明治時代では、ごく一般的なことだったのかもしれません。

次に、障壁画表面が大変汚れていたことが分かりました。

今回は画面の上から水を浸透させ、あらかじめ下に敷いた吸い取り紙に汚れを移す方法でクリーニングを行いました。ヤニのような汚れがたくさん流れ落ちている様子がわかります。

上から水をふき取ると吸い取り紙がすぐに茶色くなっている様子がわかります。これは洋館2階にストーブが設置されていたことと、部屋を利用する人々が煙草を吸っていたことも原因ではないかとのお話が修理を指導する鈴木裕先生からありました。

下に敷いた吸い取り紙に汚れが移っている

汚れを落とした後は本誌の損傷した箇所に、本紙と同じ質のもので一か所ずつ繕っていきます。

欠損部を繕っている様子

その後亀裂部分の補修を行い、裏打ちを施し、最後に補彩をします。

補彩の様子

洋館の壁面は4面とも障壁画で飾られていますので、すべての修理が終わるのはまだまだ先のことですが、こうして着実によみがえっていく様子を心強く感じます。

さらに美しくなった障壁画が洋館に戻る日を、お楽しみに!

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