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有朋・治兵衛について

山縣有朋

明治・大正時代の政治家。長州藩(現在の山口県)の下級武士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾に入塾して学び、高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文らと親交を結びました。高杉晋作の創設した奇兵隊に参加して頭角をあらわし、のちに奇兵隊の4代目の司令官となり、幕末維新期の騒乱において活躍します。山縣は、明治時代には第3代内閣総理大臣となるという立身出世を成し遂げたため、伊藤博文と並んで明治のサクセス・ストーリーの代表的人物の一人といえます。また山縣は庭園に自然な風景を作ることで心地よい空間を構築するといった、庭園に関する知見も広かったため、無鄰菴の作庭を通じて、七代目小川治兵衛に新たな庭園観のインスピレーションを与えた一人といわれています。

七代目 小川治兵衛

明治・大正・昭和を代表する作庭家。屋号は「植治」。京都府乙訓郡神足村(現在の長岡京市)の生まれで、明治10年に江戸時代中期から続く植木屋治兵衛の養子になり、七代目小川治兵衛となります。早くに養父を亡くしたために独学で作庭法を学ぶ中、山縣有朋ら明治時代の著名人との出会いから多くのことを学び、新たな作庭観を得ることに成功し、無鄰菴や平安神宮神苑、何有荘庭園(旧「和楽庵」)などにおいて、京都の歴史・文化の蓄積に琵琶湖疎水といった近代的構造を加えることや五感で味わうことの出来る作庭を行うことで、その才能を遺憾なく発揮しました。

庭について洋館について母屋について茶室について治兵衛・有朋について無鄰菴の表記について