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洋館について

洋館について
無鄰菴洋館にて、作庭当時の施主 山縣有朋の庭園に対する美意識や感性を紹介したパネル展示、庭園の育成管理を紹介する映像を公開中です。是非足をお運びください。

展示概要

無鄰菴庭園は京都市が所有する国指定の名勝庭園です。京都市では平成19年度よりプロポーザル入札制度を導入し、仕様書の内容を満たすのみの管理を求めるのではなく、より好ましい提案を行った団体の中から適切な管理者を選定し委託してきました。

植彌加藤造園株式会社はこの制度により、無鄰菴庭園の魅力をより一層引き出すための育成管理の方法を提案し実行し続けてきました。その考えの基礎となるのは「無鄰菴の『本質的価値』の追求」です。それはつまり施主 山縣有朋の作庭当初(明治時代)の構想を調べ、その想いをくみ取りつつ、現代の気候変動や私たちの感覚の変化を折り込んだ「生きている庭を育む」という考え方です。

この展示は1階と2階で大きく内容が2つあります。

1階部分では、無鄰菴庭園の『本質的価値』の追求のために行った調査結果と、庭師による実際の育成管理の手法を中心にご紹介いたします。

2階部分には、明治政府の外交方針を決めた無鄰菴会議の舞台となった会議室をご覧頂きながら、施主 山縣有朋の在りし日の生活を感じていただける空間をご用意いたしました。皆さまの庭園体験が、この展示によってさらに充実したものになれば幸いです。

展示のみどころ/1階

1. 鮮やかによみがえる

— 無鄰菴の育成管理

無鄰菴庭園は作庭当初、東山を主山とした明るく開放的な芝生空間と園内に引き込まれた軽快な琵琶湖疏水の流れで名園として知られていました。明治40年(1907)の『続江湖快心録』(黒田讓山田芸艸堂)では、以後の庭園はことごとく無鄰菴に倣っていると絶賛され たほどでした。しかし、100年の時が経ち当初の意図が曖昧となり、東山はその姿を鬱蒼とした外周の樹木に隠されていきました。

私たちは、過去の写真や文献などの資料から山縣有朋の感性を読み取り、作庭当初の状態を確認することから着手しました。その過程と現在ご覧いただける庭園に至るまでの道のりを貴重な写真資料と共にお伝えします。

東山を主山とする無鄰菴庭園が、鮮やかによみがえるさまをご覧ください。

2. 想いをひきつぐ

— 山縣有朋の庭園観

『春はあけはなる〻山の端の景色はさらなり。夏は〜』

今も庭園内に佇む「御賜稚松乃記」には山縣の庭園観が歌として刻まれています。

この碑のことばは、庭園の育成管理の根幹となり、さらにはお庭を愛でる審美眼を養ってくれることばでもあります。

山縣有朋と七代目 小川治兵衛は無鄰菴庭園において、それまでの日本庭園の「池」や「苔」といった定番とも言える要素を根本から問い直し、「流れ」や「芝」といった新しいものに変換していきました。

それは近代へと移りゆく明治時代の人々の自然に対する感性を多分に反映したものであったのでしょう。

無鄰菴の四季の様子とともに歌の意味を紐解いてみてはいかがでしょうか。

3. 想像し こころみる

— 野花の育成

一般に日本庭園の維持管理では、自然に生えた「野草」は取り除きますが、無鄰菴庭園の育成管理では、施主 山縣有朋の想いをひきつぎ、「野花」を活かした生き生きとした庭園の育成管理を試みています。現在庭園内には50種類ほどの野草を確認しており、その中で種を残すもの、個体数を減らすものを様々な調査から、それぞれの育成方法を決定し、手入れを行っています。例えば、次年度に咲く花の数を調整するために一定量の芽を摘み取る作業は、長さ3センチにも満たない発芽したばかりの芽を見分け、手で摘み取る非常に集中力を要するものです。展示では、その一端をご紹介します。

一年を通して行っている野草に関する育成管理は、今日も園内で行われていることでしょう。

4. 水と語りあう

— 東山界隈の水系と別荘群

無鄰菴庭園を流れる水には特別な物語があります。

明治23年(1890)無鄰菴庭園が所在する岡崎・南禅寺界隈に琵琶湖疏水が開通しました。天皇が去った都を活性化してくれると期待された琵琶湖疏水が開通した時、人々は大文字山に火を灯して祝ったそうです。疏水開通により岡崎界隈は水車の力を利用する工業地帯となる予定でしたが、水力発電の導入が決定し送電が可能となった工場は1箇所に集合する必要がなくなりました。そして岡崎・南禅寺界隈一帯の良き景観を守ろうという方針が京都市で決定し、財界を主とする人々の別荘群に利用されることとなりました。無鄰菴庭園はこの琵琶湖疏水の水を利用した代表的な庭園です。あの庭園と無鄰菴が同じ琵琶湖疏水でつながっているかもしれません。疏水の流れを知ることで、きっと京都の見方が変わるでしょう。

展示のみどころ/2階

耳をすます

— 無鄰菴会議の再現室

1903年4月21日、ロシア帝国との緊張関係が続く中、ここ無鄰菴庭園の洋館2階でいわゆる「無鄰菴会議」が開かれました。出席者は山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4名でした。この会議は、その後の日本の東アジア外交の方針を決定づける非常に重要な会議と、歴史上に位置付けられることになりました。2階の洋室は当時の様子をそのままに保存されています。明治時代に為政者たちは何を思い、この部屋に集ったのでしょうか。ひととき、現代の喧騒を離れて想いを馳せてみるのも良いかもしれません。

庭について洋館について母屋について茶室について治兵衛・有朋について無鄰菴の表記について
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